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2011年6月25日、森正木さん(知覧醸造)が永眠されました。享年69歳。訃報を聞いて驚くとともに、悲しみがゆっくりと広がりました。
森正木さんというと、いつもおだやかな笑顔が浮かんできます。この人の笑顔は最高です。41歳で蔵に入り、黒瀬杜氏の下で造りを学び、造り手としては「遅い出発」でした。55歳を過ぎてから、社長兼杜氏に。おだやかな笑顔の下には薩摩人としての強い意志が感じられました。 森さんの信念は、「(企業としてではなく)家業として次代に継承する」「小さい蔵だからできることがある」ということ。 さらに「鹿児島という枠組みをはずしてしまったら、鹿児島の風土と伝統を体現したいも焼酎ではなくなってしまう」という思いを強くお持ちでした。だから、商品が品薄になった時にも、冷凍いもを使わなかった。「いも焼酎は生のさつまいもを使う。私には冷凍いもを使う発想はない。これまで焼酎屋は冷凍いもを使ったことがない。過去にないことをやるのは伝統じゃない」と語っておられたのを思い出します。 森さんと話していると落ち着きます。裏表のないおだやかな人柄が相手に安心感を与えるのでしょう。おだやかななかに、薩摩人として1本筋が通った人でした。 大事にするのはレギュラー酒。「焼酎は財布と相談しながら買うものじゃない。気楽に自分のかたわらに1升ビンを置いて飲める。それが、いも焼酎のスタイル」「でも安くはできませんね、私は。だからディスカウント店には入れません。適正な利益が確保できればいい。そのかわり安く売らない。きちんとした価格で買っていただくことが大事」という基本的な考え方があったからです。鹿児島の「焼酎屋」の心意気が感じられる言葉です。 話のなかに、何度も「焼酎屋」という言葉が出てきます。「焼酎屋」という言葉がこれほどぴったり嵌まる人は少ないと思います。話に曖昧な表現がない。的確な表現で思いをストレートに伝える直球勝負の人でした。話し方はおだやかだが、話す中身は鋭い。 何度か焼酎の会でお会いしましたが、スーツ姿が似合う人でした。蔵に戻る前に車のセールスが長かったためなのでしょうか。でも、作業着でタンクの上を走り回り、焼酎を仕込む姿がいちばん似合う人でした。 最初に会ったのは2000年ごろだと思います。蔵を訪ねたのは2005年秋でした。知覧名物の茶畑に囲まれた場所で、蔵は廃校になった中学校の校舎の隣にありました。 仕込み場を歩く姿がきびきびしていて、髪もまだ白くなっていなかったので、私とそれほど年が変わらないと思いました。ところが、私より4歳先輩との答えに驚いたのを覚えています。 前々から『焼酎楽園』の協力会員蔵に参加してもらいたいと思っていましたが、なかなかお願いする機会がありませんでした。2009年の春、名古屋の焼酎の会の後の懇親会で話したところ、「いつ言ってくれるのか、ずっと前から待っていたんですよ」と言われた。本物の「焼酎屋」である森さんにそう言ってもらえたのは、うれしかった。 娘婿の仁田尾さん(現・森さん)が造りに加わり「家業として次代に継承する」ことは実現。「小さい蔵だからできること」として、「シモンいも」や「九州130号」(紅まさり)などの新しいさつまいもの品種にも挑戦された。また、割り水も工夫された。 森さんは「温めて飲むのが鹿児島の飲酒文化。現在ならお湯割り」と考え、「お湯割りの文化」を広めようとされていました。亡くなられた今、森正木さんの存在の大きさを再認識しています。余りにも早い他界でした。もっと多くのことを聞いておきたかったと後悔しています。 しかし、「焼酎屋の心意気」を体現した森正木さんの想いは、鹿児島の造り手たちに引き継がれていくことは間違いありません。 心からご冥福をお祈りいたします。
by shochu-rakuen
| 2011-06-28 12:17
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